地元農産物を通じて今なお受け継がれる、マッカーサーが日本に残した遺産
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神奈川、日本(2026年6月24日)- 1945年8月30日。のちに米海軍厚木航空施設(厚木基地)となる飛行場に、ダグラス・マッカーサー元帥が降り立ってから80年以上が経つ。今日もこの地域では、彼の像に加え、彼にちなんで名付けられた庭園や農産物などが残り、その歴史の足跡を今に伝えている。
「マッカーサーレタス」 ―― 海老名市とその周辺で栽培されている「海老名レタス」に対して、一部の住民の間で親しまれている愛称である。
この地域におけるレタス栽培の歴史は、1945年にマッカーサーが神奈川に到着した直後にまで遡る。海老名に伝わる伝承によると、マッカーサーが「地元でレタスを作ってほしい」と要請したことが栽培の始まりとされており、当時、海老名は在日米軍への食料供給地の一つであった。
当初、地元の農家は西洋レタスの栽培に苦労したものの、1950年代までには生産が安定。その後、海老名のレタスは横浜や東京の市場へも出荷されるまでに成長を遂げた。
「神奈川の土が、ベスト(最高)なんですよ」
厚木基地広報のインタビューに、海老名市でレタスを栽培する川口勝治氏は誇らしげにそう語った。「このあたりの気候は二毛作にぴったりで、違う作物を交互に作ることで土がどんどん良くなっていく。豊かな土があるから、極力農薬を使わずに新鮮なレタスを栽培できる」と、その強みを明かしてくれた。
ベトナム戦争時には、米軍の食料需要に応える形で、海老名のレタス生産はさらに増加。その後、戦争の終結とともに米軍向けの出荷は終了したが、農家たちは神奈川県内や東京都内へと市場を開拓し、販路を拡大していった。
現在、この地元産レタスは地域に欠かせない定番食材となり、「海老名レタス」や「神奈川レタス」の名で周辺地域に流通している。また、海老名市内の一部店舗では、今でも「マッカーサーレタス」の愛称で売り出されているところもある。
海老名のレタス農家である金指恵太氏は、マッカーサーレタスを栽培することへの想いを次のように語った。
「(レタス栽培が始まった当初)マッカーサーという著名な人物の愛称がついたレタスを育てることは、当時の地元の農家の方々にとって誇らしいことだったのかもしれません。当時と今とでは時代背景にギャップはありますが、この地域の人々は今でも自分たちのレタスに誇りを持っています。 マッカーサーは、今なお有名な存在ですし、彼の名がついたレタスは(日米の)良好な関係を築く手助けとなってきました。私たちはこれからも、その遺産を受け継いでいきたいと思っています」
米海軍厚木航空施設は、西太平洋艦隊航空司令部、第5空母航空団(CVW-5)、第51海洋攻撃ヘリコプター飛行隊(HSM-51)、およびその他23のテナント部隊の戦闘即応体制を支援し、西太平洋に配備された部隊に対して後方支援、調整、および各種サービスを提供しています。
[翻訳] 米海軍厚木航空施設広報部
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